20年経ったし本音を書こうかな

今回の話はネットに顔出してから20年経つのでいろいろと書きたいと思います

初めてとあるサイトに訪れたのが2001/8/19。

その時は今みたいに秒単位でやり取りする状態ではなく(もちろん、SNSが無い時代)、掲示板でやり取り。つまり、文通にちょっと近い感じかな。そんな時代でした

今回の話はかなり長いので目次を付けました

 インターネットデビューから20年

そもそもそのとあるサイトを見つけた?

元々オリコンを見ていたことからドリカンを知って、そのあとにドリカン聞いて年間の集計方法やランキングにちょっと興味もった。そのあと、それ絡みでネットで探していたら番組当初からのランキングが載っているサイトがあって、そこのリンク先で知った。

正直、その当時のネットって画像の読み込み遅いし、今よりも全然画質悪い。どっちかというと情報仕入れたり、サイト作ってブログみたいのをやったりとか。

そこのサイトもまさにそんな感じです。

2000年4月に開設されて17年間変わらずに続いていました。(現在は活動終了でHPだけ残っています)

ドリカン(こむちゃ)の予想大会は?

参加は2001年8月25日週分から。というのも、その3か月前からサイト自体は知っていましたが、20歳までは参加しないと決めていました。

最初の頃は予想は楽しかったけど、いつしか日課になっちゃったことで楽しめない感じになったのかな。その上、あまり仲もよくなかったし。

今思うと悪い思い出が多かったことは後悔しています。あの時はまだ20歳超えたくらいだったし。けど、あそこは慣れて15年近く経って思うことは、管理人さんに本当に頭上がらない。うちが抜けた後も11年間やっていたのは本当にすごい。自分にはできないと思います。そう考えると、あそこに参加できたことは良かったのかなと思います。

改めて、J-Windさんには4年経っているからアレだけど、本当に17年間お疲れさまでした。

そして揉めに揉めたレビューの話

ここでは当時の話はしません。というのも、今と考え方が違うところもあるし、あれはあれで僕なりによかったと思います。あと、除名に関しても文句は言いません。それは価値観の違いだから仕方がない。

しかし、今だから言える話を言うと基準が難しすぎたと思う。というのも評価つける基準が明確ではなかった。M-1だと最初の組が基準になって、そこから後の組をよかったら93点つけようとかダメだったら87点つけようとかできるけど、そこがない状態で勝手に基準を決めたから変な評価になったというのは言えるのです。

それと、今でも「これはおかしい」というのが、バランスよくつけるというのは実は一番難易度高い手法なんです。大体平均を5~7点の間にして、10点は年に3曲程度でとか。それって無理だと思うんです。ずっといい曲が多すぎて今年は平均8点くらいになるとかもありだし、逆に去年のほうが全然良かったから平均4.5くらいかなとか。それって全然ありだと思うんです。それはそこの姉妹サイトも中身は違うが考え方は一緒。

ここまでは当時のルールに対しての今思う疑問点で、ここからが本題。
本当に除名されたことに対してよかったのか?

これは結論から出いうと、当時も今も全然よかったと思います。
というのも、当時一番きつかったのって曲をチョイスすることができなかった。だから、好きなアーティストの曲とかもほどほどにしか聞いていなかった。それって苦痛ではないけど、ドハマりするものがなかった。やめてからは、結構自由になった感じがしましたね。(あんな腐ったとこから抜けてよかったとかそんなことは1ミリも思ったことはありません。)
ただ、視野が開けてきた感じがしたのは事実だし、気が楽になったのも事実。多分だけど東方が好きになったのもレビューに参加したからというところあって、あの当時もいろんなタイプの曲を聞いたけど、アレンジ変えるだけでこれだけ違うのかとかいろんな発見できたのもクロスレビューに参加したからだったと思います。

それと、この節の冒頭に「価値観の違いだから仕方がない」と書きましたが、本来だとある程度横に合わせたほうがよかったが、自分の暴走で迷惑かけたことに対しては申し訳ないと思う。ただその上で今になって思ったことを書きました

2004~2006年は無理をしていました。

実は自分のサイトも作っていて2005年くらいで閉めたのですけど。あの当時は本当にきつかった。レビューしたりまでは良かったけど実は体を壊したのです。

多分最後のほうは夜勤と日勤の交互かつニコリのパズル制作もやって、サイト運営もやって、その上参加していて寝る時間があまりなかったのです。

最終的には最初に自分のサイト〆て、ヘキパラさんとこの参加もやめて、ニコリもやめました。多分完全にやめたのが2006~2007年でしたね。

その後はステマニ譜面中心

2006年以降は本当に自分のペースでブログ書いたりステマニ作ったりしていました。

夜勤も終わって時間できたけど、しばらくはゆっくりしようと。

サイトは作ってましたが、ステマニ置いたりブログ書いたり。ほぼ趣味のことなので気ままにやってました。何かこれ以上特別なことをしようとは思いませんでした。

ただ、らき☆すたに刺激を受けてメドレーを自分で1から作ろうと思って2009年に30分メドレー。2010年に1時間超えの超大作のステップマニアの譜面を作りました。

そして2010年からツイッター開始

便利だと思ったからねw
本当の理由はそういうことではないんですけど、自分から情報発信したかったというのはあります。

けど、最初は失敗したと思った。というのもブログとやっていること一緒でどっちかに偏るなと。案の定そんな感じの時期もありました。

しかし、そこでも事件あった。「No,Thank You」事件。
こむちゃとは完全に縁を切ってはいませんでした。というのも、このようなランキング自体は好きでしたし、おもしろいかと。
ただ、1週ランキングお休みだけで事件に勃発した。それがNo,Thank Youと絡んでいたりします。その1週でその曲が年間1位なったことがきっかけでこむちゃから離れたのです。しかも、とある方からブロックされましたし。
ただ、その方を許す許さんとはならず、器が小さいなと思ったんです。うちがこむちゃを批判するツイートしたことから。

その中身が「1週休むなら順位で決めるのではなくリクエスト数で決めるべきかと」

言ったこと自体は後悔はありませんし、今でも一意見として言っているだけだから別に問題ないと。

しかしその人からだと「傷つけた」と言ってブロックしたのです。

まあ、その人とはそれ以降やり取りしませんでした。というか、一意見で言っているだけでその人に向けていないのにブロックされるって。フォロー外しました。(ブロックはしていません)

けど、さすがに言いすぎたことは否めず、ちょっと頭冷やす時期を設けました。

2012年ニコ生へ・・・

5年くらい沈黙してニコ生をやりました。

ニコニコ生放送を始めたきっかけはそこまで深い理由はない。けど、前々からなにか放送できたらいいなと思っていました。

その時に手元にあったのが東方幻想麻雀。

東方幻想麻雀を扱った理由は単にそこにあったからなのです。そこにあったと言っても2009年から東方幻想麻雀をやっていました。

けど、本音を言うと麻雀初心者だったからその放送は向いていないと思ったんです。けど、やってみると結構楽しくこのままでもいいかなと。

その後放送内容を色々変えていて、たぶんこの20年間の中で特に2012~2017年が一番内容が濃かったと思います。

10年ぶりに前後にイベントがないオフ会に強制参加させられた事件www

これは本当にいい迷惑だよwww

けど、本音はものすごく嬉しかった。

というのも、多分自分から行こうと考えなかったと思う。というか、行く勇気がない。

なぜ、こうなったかというと

 この後色々話すうちに行く方向になったんです。
「水戸まで行ってオフ会か・・・」

最初は行くとは言ったものの不安のほうが大きかった。

そこにはいろいろと過去があったからね。見てはいけない一面を見てしまって、距離を置こうとしたからね。それに、ちゃんと楽しめるのかもね。

行った感想はすげー楽しかった。本当に行ってよかった。帰りの新幹線で泣いた・・・ところまでいったわけではないが、参加できてうれしかったね。

その後3年連続参加しましたが、本当に楽しかったな~。

2013年からはカラオケも

 ヒトカラを始めましたね。

元々歌うこと自体は好きだったから

2015年からJOYSOUND MAXになって全国採点ONLINEから全国採点GPに変わり、あの時結構の人離れていったからね。

けど、年々やる気が失せてきたな~。決して嫌いになったとかじゃないけど、無理に張り合う必要がないと思うようになったからね。

一時期ヒトカラ用のブログも設けて結構反響もあったようで。

そして、35過ぎて

多分この歳からどんどんネットに顔出さなくなってきた感じかな。

幻麻もそこそこやっていたけど、新規で顔出すコミュニティもなかったし、

オフ会は2017年が最後で同人イベントも2018年の紅楼夢が最後でした。

正直、嫌気刺したとかそんなんではないんですが、そろそろマジでなんか新しいことしないといけないなと感じるようになってきたんです。

2015年にサラエボからコマックに変わったのもサラエボが仮HNだったというのもあるけど、あと何年こうできるかもわからなかったからサラエボでフェードアウトするのではなく、コマックでフェードアウトしたいと。

そして気づけば40歳。そして20年。

この先をどうしようかな。

正直何をしようかは決まっていない。けど、40歳だからYouTubeを始めたいとか想いはいくつかある。あと、同人イベントももう1回行きたいとは思っている。

20年間いろいろとあっていいことあったり悪いこともあったり。でも、こうやって進んでこれたんだから、この先もいろいろとやりたいと思う。

オフラインでの20年

パズル作家はもう一度やりたいの?

実は2002年から3年間活動していました。実際にニコ生の放送内で制作して、別の人放送でが解くということやりました。

パズル作家は多忙になったため一時休止して、どこかで再開したいと考えていました。
ただ、そのプランが全くなく15年以上過ぎました。

そして、復活はまだまだ先。というか、15年も作る方から離れると作り方をもう一度思い出さなきゃいけないし、わからないことだらけだと思うんです。まずは解くことをしっかりやっていきたい。それが出来れば、作る方もやりたいと思います

1度も転職せずに21年経ったけど?

そうなんです。とあるサイトにお世話になっているところは高校卒業してすぐに就職した人っていなかったと思うんです。それから20年経っても同じ職場にいます。

転職かー。うーん、希望職種は実はあって、農業に興味はあったりとかするんだ。工業系の高校行ったけど、工業の世界はもういいかな。

旅行での思い出は?

大阪は20年で50回は行ったと思う。

大阪は石川県からだと結構容易にいける場所で青春18きっぷで日帰りできるのです。

なので、1日2回大阪という珍事件発生しましたw

しばらくの間毎年行っていましたが、2019年が最後でしばらくは当然ですが行っていません。

東京も20回くらいで寝台・急行・特急はくたか・Maxとき・北陸新幹線・夜行バスといろんな手段で行きました。

やっぱり、同人イベントに行ったときはいい思い出が多いですね。
他に大洗もガルパン抜きで見ても雰囲気的に好きかな。元々海辺の町が好きというのもあるし。観光もそうだけど街歩きとして行きたいところだったり。

今までの20年とこれからの20年について

今までの20年は一言でまとめるのは難しいけど、良いことも悪いこともあったけど、それがどんどん糧になっているから結果的にプラスの20年だったかな。

特に何を始めるのも遅く、初めてライブ行ったのが27の時。同人イベントが30歳過ぎていたし。ニコ生も30歳だったな。

これからの20年は新たにやるというのはほとんどないかな。
というのも、何もかもやった感じでこれ以上始めたいというものはないかな。
YouTubeはやりたいけど、ニコ生の延長になりそうだし。

まあ、これからの20年は新たにというよりも今までやってきたことを少しでも極めたいと思います。

終わりに

今回は原稿用紙14枚くらいにわたる長文ですが、実は今日誕生日で40歳になるんです。

そして、ネット生活も20年くらいだから、いろいろと語りたく長々と書きました。

まあ、大体本音ですね。

今後の予定はあまり立ててないけど、10月に20周年の枠取ろうと思います。

それ以外はのんびりやっていきたいと思います。

 

最後に

今までいろいろとご迷惑をおかけいたしましたが、本当にありがとうございました。今までの出会いや経験は自分の衣装の宝物です。
そして、これからもまたよろしくお願いします。

AIで一喜一憂はしたらダメ。

今日はAbemaで将棋チャンネルの話

うちも、藤井二冠が出てきてから結構見るようになりました。今はAI評価があって形勢が分かりやすく、見やすいです。けど、今は評価値というのが存在するけど、その前はそれが無く何が凄いとかはわからないところも多かったです。例えば羽生の5二銀とか。

 

今は次の手の予想とかは解説者がやりますが、次の最善手はAIで表示するんです。そして、指したら評価が振れるのです、つまり、悪手指すと50-50が20-80に振れるとかそういうことです。
しかし、解説者は指しやすい指しにくいは見ますが、評価値の数字はそこまで気にしていない感じします。というのも、例えば40-60だと先手が粘れば逆転できるという評価になるらしいけど、解説者によっては「この手を指さないと先手にぶれるけど、人間には見えない手だな~」と思うこともあるし「40-60だけど、先手が大分劣勢して僕だったら投了しています」とか

つまり、AIが指示した手を指し示せば全て最善手だと数百手経っても終わりません。しかし、第62期王位戦の第3局みたいにどうすれば指しやすいかとか粘れるとか考えるのです。それが人間。なので勝敗がつくのです

 

毎回藤井二冠の対局見て思うのが完璧な差し回ししていることもありますが、指しやすくするために評価値をわざと下げることも多々あります。そして、評価値をわざと下げたことで相手が「何を狙っているんだ?」とか「これが最善?」と思い長考させ、誤った手を指させることをするのです。

つまり将棋って間違えを誘導させるボードゲームという感じ。だから、そこに人間の魂がぶつかるから面白い対局になるのだと思います

お知らせ

YouTube用ブログを削除しました。

理由はYouTubeやる予定がないからです。

 

YouTubeやる予定がないというのも、実は家の改造に着手しようと思いましていろいろと編集とかそういう時間が取れないのです。
その他に今将棋のことについても書いていて尚更時間足りないのです

 

今後YouTubeやろうと考えたときはここでお知らせします。

お題の「記憶に残っている、あの日」であの事件を思い出した件についてwww

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

うちは何をするにも遅い方で、
・東方に出会ったのが27歳の時
・初めてライブに行く28歳の時
・初めての同人イベント30歳の時
例大祭初参戦32歳になる年
・ニコ生 30歳の時

と結構遅かったりするのです。
しかも、オフ会は22~3歳が初めてでしたが、その後イベント前後の打ち上げ的なオフ会除くとあれは今でも覚えている。

 

確か、水戸のオフ会に間接的に呼び出されていたわwww

あれはこの生放送がきっかけだった。(放送は見れません)

live.nicovideo.jp

この時、最後の方は見ていなくて、後日確認すると「監督 サラエボ先生」(当時のハンドルネームはサラエボ)と主コメに書かれていましたwww

 本当にそれきかっけで水戸オフに行くことになったのです。
本当に誰だよ!間接的に呼び出したのwww

けど、その時は同人イベント無しのオフ会以外で10年ぶりくらいで、結構楽しかったです。

その後も何度か参加しまして、それ以前にその人のオフ会の参加メンバーがある意味凄いことになっていた。北は北海道から南は沖縄までという。けど、本当に毎回楽しかったな~。また機会があれば参加したいと

将棋界の構図が変わりそうな雰囲気が出てきました。

たんたんチャンネルさんにタイトル同時趣味レーションが上がってました。

www.youtube.com

 

見た感想というか、思ったことは藤井聡時代が来るのがかなり近いところまで来たと思いました。しかも羽生の時とまた違う構図。

羽生の時代は特にというと22~30歳の時。
ただこの時はライバル棋士も当然いましたし、谷川九段もバリバリの時代。
さらに同世代の棋士も活躍していたので一筋縄で行かないなりに活躍していました。
その後もずっとタイトル戦に絡む活躍していて1強時代というか、羽生九段中心にタイトル戦が行われていて他の棋士もそれに追従して強くなっている。それが羽生の時代。

しかし、藤井聡時代はそうではない。本当の1強になっちゃう可能性もある。
というのも、佐藤康九段や羽生九段は言い方がおかしいかもしれませんが過去の人になり、渡辺名人も世代交代の時期が近い。さらに豊島竜王も30代で永瀬王座もくすぶっている状態。その上藤井二冠は今年19歳でまだまだ成長期。

このことを踏まえて考えると六冠は無くはない状態と言える。しかも20歳までに。
そうなると藤井竜王(六冠)対全員という構図も見えなくもないと思います。

ただ、これは個人の想像ですが、藤井二冠が八冠になってすべて防衛したとき将棋界の終わりだと思うんです。というのも、藤井二冠が悪いとか他の棋士がもっと頑張らないからとかそういう理由ではなくて、対藤井の研究を進めることが問題になるのです。
藤井二冠の研究を費やせば他の研究に充てる時間が少なくなり、豊島竜王や渡辺名人も挑戦者で上がる可能性がわずかながら減り、誰が挑戦者でもおかしくない状態を作り上げるのです。そうなると、藤井二冠との差が広がる傾向が出ると思うのです。

うちが、将棋界をさらに発展させるために伊藤匠四段や高田四段がもっと奮闘してほしいということ。あと、他の若い棋士ももっと上を目指してほしい。そして、藤井二冠を意識させる状態に持っていってほしい。僕はそういう時代になることを望んでます。それで、八冠防衛でもちょい上か同世代のライバルが勝ち上がっていい勝負であればそれもいいですが。

サイト開設から踏まえる20年近くになります

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

というのも、はてな自体は十数年前から使っていたのですが、当時2ちゃんねるが流行っていたり、やり取りもSNSではなくCGIチャットでやっていました。

最初の頃のチャットって外部に漏れることが少ないというか、自分のサイト作って仲間内でチャットしていたのです。

うちも、2001年から1~2年間はそういう感じでやっていて、掲示板やチャットを設けて仲間内でやっていました。

ただ、うちも言葉が足りなかったり配慮が無かったりで喧嘩もあったりとかしましたが、あの時代は趣味のあった人たちの溜り場でいろいろと話して楽しかった。

今も趣味が一緒の傾向からツイッターでフォローしたりスカイプやズームで話したりすることありますが、昔より趣味の分岐が多く幻想麻雀つながりで仲良くなった人も今では疎遠な傾向だったり、分岐が多い分昔より仲の良さは薄い感じがするのかな。
ただ、逆にそれきかっけで友達付き合いしている人もいますし、それは昔と違うのかな。

個人的には今って言論の自由というか発言に責任感が昔よりもないのかなと思います。昔は趣味について語ることは多かったけど、プライベートや悪口は書くこと少なかったかな。今はというとツイッターでぼろクソに批判したり何でも喋ってもいい雰囲気がどこかある。その反面、いいね!とかボタンがある。だから考えて投稿するということが減ったかもしれない。

僕は今の時代のYouTubeのコメントだったりYahooのニュース記事のコメントは薄い感じがして好きではありません。

それと、ツイッターの量では足りないのと考えて文章書くことが大事なのかなと思って今もはてなを利用しています